堀幸一選手との来季契約について(千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト)

堀様コメント抜粋

「これだけ長い間、ロッテにお世話になり、様々な良い思い出と経験をさせていただいたことに、今は感謝の気持ちしかありません。
球団からはフロントとしてロッテに残って欲しいというありがたいご提案を頂きましたが、自分の中では、まだ現役選手としてグラウンドに立ちたいという気持ちがあります。今後はトライアウトを受けるなどをして、現役続行の道を探していきたいと思います。
ロッテファンの皆様には23年間という長い間、スタンドから熱いご声援を頂き、心より感謝をしています。
来年も現役選手としてユニホームを着ることが出来るように、そして自分の中で悔いが残らないように精一杯頑張っていくつもりですので、今後も見守っていただければ幸いです」

初めて堀様の存在を知ったのは95年だった。バレンタイン第一次政権。快進撃を続けるロッテの3番に堀様はおられました。おぉ、ロッテにもこんなに打てるバッターがいるものかと感動したのを良く覚えています。3番堀、4番フリオフランコ、5番初芝、いいクリーンナップだった。下位打線は今のロッテみたいにボロボロでしたけど。定詰(笑)伊良部、小宮山、ヒルマン、若きジョニー、河本成本Wストッパー、いや懐かしい、そして強かった。

96年チームは崩壊したが、それでも堀様は打ち続けたね。イチローがいなけりゃ首位打者かってくらい打ったね。こりゃセカンドのベストナインは頂いたなと思ったら大島が選ばれて、一人一人投票したマスゴミ連中を機銃掃射で一掃したくなったことをよく覚えてます。パ・リーグの弱小球団なんてまともに見てる人間はいないんだなと思い知らされて。

98年18連敗。連敗が増えるにつれて増殖するマスゴミに堀様は言ったね。「こんなときばかりきやがって!」と。みんながみんな堀様と同じこと思ったよ。でも長年弱小球団で過ごした堀様の自虐的なコメントは同じ意味でもどこか切なく聞こえたね。

99年松坂大輔千葉マリンスタジアム初降臨。僕が初めて満員のマリンスタジアムを見た試合。ほとんど松坂目当ての俄連中だったけど、満員のスタジアムに感動したあの日、ホームランを打った初芝のシーンは良くクローズアップされるけど、KOの起点となったのは2点目の堀様の適時打だったんだよ。ロッテに初芝と堀あり。それを象徴する試合だったんだ、あの試合は。きっと10年経っても堀と初芝が打ってそうだなロッテは(笑)よく友達と笑って話したもんだ(若手が育たない的な)

03年。4番DH堀(爆)3番に井上順が座り4番に指名打者堀様、5番ホセ・フェルナンデス、6番リック・ショートのハチャメチャオーダーで勝ちまくった秋。あの時のすさまじい強さが秋のロッテ、帳尻ロッテの代名詞を決定づけたんだ。いや、本当すげぇ打ちっぷりだったもん堀様。

そして運命の05年。西岡、小坂と交代で出場し復活した打棒、右打ち。念願だったベストナイン選出。そして激闘プレーオフ、優勝。10月17日福岡プレーオフ第5戦。負傷交代し、最後優勝の瞬間足を引き摺りながらベンチを飛び出していく堀様の目は真っ赤だったね。オレは鼻水たらして号泣して周りがどんびきだったけど(笑) いや、ロッテで優勝できて本当によかったさぁ。

いつかはこんな日が来るってわかってた。若手を起用して育てる西村采配の下で出番が全くなかった。覚悟はしてた。若手を起用する西村采配を否定するつもりは毛頭ない。でもさ、やっぱり特別なんだよ、堀幸一は、オレにとっては。あの90年代後半の暗闇に青春を捧げた人間にとって、ロッテ=初芝、堀だったんだ。ガラガラのマリンスタジアムに響き渡る「キョォオオオイチィイイイイ!」という奇声、そしてあの出囃子、打席に立つ堀幸一、芸術的な流し打ち、そして併殺(笑) もう見れないのか、マリンであの光景は。

ありがとう堀幸一。あんたの右打ち最高だったよ

P.S トライアウト受けて現役続行するならトコトン応援しますぜ!なんなら西武にでも入って、1番片岡、2番栗山、3番ナカジ、4番DH堀、5番おかわりとかみたいねぇ!パ・リーグ最強打線じゃん!成瀬あたりをボカスカ打ってね、2000本安打達成しちゃいなよ!

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2件のコメント

  • いやほんと、お疲れ様でしたとしか言えません。
    エントリ読ませていただいて、色んなことが思い出されましたよ。

    あ、目から汗が・・・

  • まーきん。さん
    エントリ読んでいただきありがとうございます!ついに引退が決まってしまいましたね。2軍で元気でやっていただけに、今年1軍で有終の美を飾ってほしかったです・・・。

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