サブロー選手と読売ジャイアンツ・工藤隆人選手プラス金銭でのトレードについて(千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト)

「17年間、ロッテ本社、マリーンズ球団には大変お世話になり感謝しております。そして、私をここまでサ ポートしてくださった方々、いつも熱い応援で勇気を与えてくれたマリーンズファンにも大変感謝しています。大好きなマリーンズのユニフォームを着てQVC マリンでプレーできなくなるのは寂しいですが、新天地で活躍することが皆様への恩返しと思って頑張ります。

マリーンズで2度の日本一に輝く事が出来たのは誇りに思います。千葉で出会った沢山の笑顔は忘れません。マリーンズの今後の飛躍を期待しておりま す。そして秋には日本シリーズでマリーンズと対戦できる日を楽しみに、私も読売巨人軍で精一杯頑張っていきたいと思います。本当に17年間ありがとうござ いました」

実にやる気のないスイングだな…。

上体をだらんと構える。ストライクゾーンの球を微動だにせず見逃す。そして追い込まられてとんでもないワンバウンドのフォークボールを振って三振…。だるそうに野球やってるように見えるんだよなぁ…。サブロの打撃フォームーって。

たが、一流の目から見るとあのだるそうな構えに、やる気のないスイングは『力身がない理想の打者のスイング』となるらしい。打撃の神様川上哲治、ミスター長嶋茂雄、三冠王落合博満…早々たる面々がサブローを評価している。野球というのは実に奥が深い。

95年ドラフト1位入団。当時同じ苗字の大村巌がいたため、前年日本中を震撼させたイチローにあやかってサブローと登録名をしたことは当時多少の話題になった。が、しかしその後鳴かず飛ばずの成績。ロッテの高卒ドラフト1位野手は育たない。ロッテの野手はいつまでたっても初芝と堀。澤井、渡辺正人とともに、その存在は私の中で忘れ去られていった。

徐々に活躍の機会が増えた1999年以降だが、私が記憶しているのはやっぱり野球で活躍しているエピソードではない。当時節約アイドルとして活躍していた中嶋ミチヨと電撃結婚したが、スポーツ新聞には『中嶋ミチヨ、プロ野球選手と電撃婚!』と名前を取り上げられなかったり、せっかくオールスターに出場したのに、代走のみの出番。テレビではそのオールスターに出場したPL出身者一覧のリストからも漏れていたり…。そしてかの有名な『セカンドサブロー』サブローはこのまま中途半端な選手で終わるのだろうか?

しかし2005年、チームの快進撃と共に、サブローは不動の4番打者として突如爆発する。ボビー・バレンタインマジック日替わり打線の最高傑作。初めて4番に座った日の衝撃は今も憶えている。『4番(笑)サブロー』『いくならんでもサブローが4番ってw』と散々揶揄されたがホームラン打って、その後完全に4番定着。いつの間にか日本一の4番打者に。その打棒から、やっぱり4番にはサブローが座らないと落ち着かないとまで言われる存在になった。

やる気のないスイング。見逃し三振。併殺打。試合が決まってからの一発。下手くそなバント。セカンドベースでぼーとしてて牽制死…。なんとも無気力で溜息のでる日もあれば、4番の仕事してみたり、日本シリーズでの華麗なる本塁打。そう、あのやる気のない、いやあの力身のないスイングから放たれた放物線のなんと美しいことか。まさに栄光の架橋…。気がつけば、堀、初芝なき後のロッテを象徴する男にサブローはなっていた。

2011年、サブロー、読売ジャイアンツへ金銭トレード。

若手の成長でベテランを放出することは、MLBなどでも比較的よくある光景。貧乏球団の鴎ならば、高給取りのサブロー放出も理解できないわけではない。小坂、久保、地味様、前例もある。しかし、今回のサブローの場合ー。チームは怪我人続出。ポジションが空いているにもかかわらず2軍で飼い殺し、挙句脅迫的にトレード放出。17年チームを支えた功労者へのこの仕打ちは到底納得できるものではないし、今後2度とこういうことがあってほしくはない。

巨人へ移籍したサブローは登録名を大村三郎に戻すそうだ。千葉マリンにて『サブロ~~~~~♪』という谷保さんの声をもう2度と聞くことはない。そう考えるとポッカリと心に穴が空いたような感覚に陥ると同時に、サブローの存在感の大きさをあらためて感じずにはいられない。

7/1 巨人移籍デビュー戦。初打席初本塁打。あのやる気のないスイングから放たれた放物線はやはり美しかった。

サブロー、17年間ありがとう。巨人でも4番打っちゃいなよ!

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